長い間ご愛用頂いておりました、ポイントカードの新規発行を終了いたします。

創業2013年11月15日以来、丸二年を経過し、おかげさまで3年目を迎える事ができましたことは、ひとえに当店を支えて来て下さったお客様、お一人お一人のご支援によるものです。

今、お使いのポイントカードは、最後までお使いいただけますのでご安心ください。

なるべく早い時期でのご利用をお勧めします。

今後とも、営業努力を重ね、一人でも多くのお客様にお喜びいただける様、新しい企画の立案をしてまいります。

今後とも、なお一層のご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。

ものは考えよう、自分を触発する手段のお話し。

駆け出し当時の自分を振り返ってみると、赤っ恥だらけで、どこからあの自信が湧いてきたのだろうと不思議に思うことが、しばしばあります。他のお仕事のことは、体験したことがないので分かりませんが、新人のうちは、同期入社生がライバルになることが多いですね。

私の場合、家族や知人が全くいないスタートだったので、学生時代をリセットしたいところもあり、上京したのですが、これは、今思い出すとある意味よかったと思います。

私のように意思が薄弱で、ややもすると無精で逃げ出したがり屋の性格は、少しでも逃げ道があれば、逃げて隠れて、生きていければそのほうが、今日の景色が明日も見れると良いなと思ってしまう。

これが何が何でもやらなきゃいけないってなると、不思議とやれるもんですね。

そんなこんなで、他人より負い目?があり、負けてたまるかってことになったので、この職場の若手の中で一番先に親方になるんだって思い始めて、がむしゃらって言ったら体裁は良いけど、他人の邪魔もしたし、周囲のことなんか考えず、やってきたように思います。(全く迷惑な話です・・・。とほほ)

そんなわけで、これが私の発条になったことは事実です。

もっと、思いやりが持てる余裕があればよかったと、これが一番感じますが、なりふり構わずやってきたことのよかったことは、とりあえず、こなせるようになった、

悪かったことは、当時の仲間を傷つけてきた事と、仕事のタッチが、いまだにスマートじゃない、野暮ったい、どこか力みが抜けない気がします。

反省課題が多い中、毎日お客様に向き合って、喜んでいただくことが罪滅ぼしかな・・・・です。

これから、菓子職人を目指す人のアドバイスにはなりませんが、こんな先輩でも、続けていると、イメージしたものは表現できるようになる事は事実です。

何処の、なんの職業でも、見習いはつきもので、今と比べると私が見習いを始めた昭和50年代より、研修、見習い期間は短くなったように思います。

何処の企業様でも、早期育成、いろんなハラスメントを規制する。良いところも多いと思います。

企業責任から言って、コンプライアンスは、社会貢献について大切なことだし、コンピテンシーシートを採用してのスタッフ育成、上司からのフィードバック、コメント、レスポンスは、若い世代だけでなく、だれでも褒められれば嬉しいし、何とか期待に応えようとする。

どんな作業があったかは、皆様の想像にお任せするとして、修行期間は今にして思えば、非常にありがたいもので、その職業を通して、二度と経験することのできない期間ですよね(お給料を戴きながら指導して貰う)、いやでも3年が過ぎれば経験者としてキャリアを問われる、言ってみれば成果報酬(サラリーは比例しないかも?)を労使双方から期待する。

幸い菓子職人の選手生命は比較的長いかもしれませんが、キャリアに準じたスキル(テクニックとマネジメント)を発揮できるのは、他人との出会いが左右することが大きく、クライアント(リクエストを頂いたお客様)のイメージに自分の想像力がついていかなければ、ご満足いただけない。

見習い期間で、一番大切なことは、尊敬できる人との出会い、これだと思います。

追伸:若い世代の方々に誤解があるといけないので、つけ添えますが。灯台下暗しという言葉を噛みしめて、相手だけに期待するのではなく、自分も相手を見るように努力する事も大切、身近なところに、素敵な出会いが在ることをお忘れなく(与えられることに慣れる事は禁物ですよ)。

国道15号線、鶴見の六角橋上り線で、右折してきたコンテナートラックに激突して、新車のGSX400シルバー納車から2週間で大破。

長崎の自動車学校で三段階から、蒲田の自動車学校に転校して、自動車免許を取得して勢いで、中型二輪を取って、上野のバイク屋から意気揚々と帰ってきて、楽しみにしていたバイクが、ほんの何回目かのお出かけで、フロントフォークが曲がり、タイヤはなくなり、フレームが曲がって、廃車、地面に落ちた部品を拾い集めてポケットに入れたのを覚えています。

幸いコンテナートラックが、コンテナーを積んでいなかったので、衝突した後、その上を飛び越えて地面に受け身して助かったらしい。

救急車で運ばれて、誰かから、大丈夫ですか?と尋ねられて、大丈夫ですと何度も答えた覚えがある。

できれば、現実を少しでも小さくしたい、仕事に支障を来したて、本心会社を首になるのが怖かった。

行く場所がなくなるのが怖かった。

結局、次の日会社に行ったら、みんなからお化けを見るような目で見られていた。

身内がそばにいないから、警察はおそらく会社に連絡したのだろう。

不思議と怪我はなく、それでも80㎞(申告は55㎞くらい言ったと思う。)からの急制動で、あちこち痛かったのは、事実で、なにしろ、生きてゆくのが精いっぱいで、世間知らず、知り合いに弁護士の先生がいるわけないし。

この話は、青春の門なんてカッコいいものじゃない、この行動はすべてについてがこの調子で、力任せ。子供が学校でいじめられて帰って親に黙って部屋に入っていったのと何ら変わるところがない。

若い世代の人たちは、今、デジタル情報時代で冷静でかしこい人ばかりだと思いますが、できれば、直属の上司(当時は神様より偉い人、閻魔様より怖い人だと勝手に思い込んでいた、職人のオヤジですから)に相談して指示を仰ぐほうがよろしいのではないでしょうか?