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菓子職人(第三話)上京後。
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菓子職人(第三話)上京後。

この当時の集団就職という言葉は、もう今は使われていない(死語?)だろうか?

ともかく、私が就職した高輪のホテル(P仮に)では70人余りの同期入社の仲間がいたことを思い出すと、そのあと一年後に残った者同士の同期の飲み会の人数は相当少ない人数だった。

この会社に入社した経緯を少しお話したいと思います。

長崎県出身の私は、博多の一次面接でSホテル(仮名:昭和55年ニューオープンでオープニング)の面接に落ち、二次で、Pホテルに入社(人事部長から学校にまじめな人材をと、感謝して頂いたそうです。)この二つの結果がどういう違いかは、ともかく、この時の分水嶺は、そのあとの私の人生を大きく分けてしまった。

今となっては、Pホテルに入社したことに感謝をしています。

Sホテルがオープンしたころは、私はホテル業界のことはおろか、社会のことなど全く知らない、九州から出てきたばかりの、昨日まで学生として、家庭と教室くらいしか世界の無い子供でした。

先輩社員から聞かされた話によると、PホテルからSホテルの幹部社員として入社した大先輩方も多かったようで、Pホテルを14年経験して、次のホテルのオファーは、元の上司からだったのですが、その次のオファーは、Sホテルの料理長からのご紹介でした。少し皮肉な感じはしましたが、前を向いて歩きだしたのもこのころです。

このころは、第2次ホテルオープンラッシュ?

赤坂Pホテル、新宿Sホテル、浅草Bホテル、箱崎Rホテル、・・・。オープニングのコアメンバーの動きを此の文面で追跡することは、それぞれの物語ができてしまうほどになってしまうので、割愛します。

それにしても、ホテル業界はそれぞれの横のつながりが大きく、狭く。みんなよりいいポストを探して、人物と呼ばれる人たちは、やはり、それなりに大成して、まれにホテルの料理長が専門誌ばかりか、プレジデントの表表紙を飾るのは、調理業界としても鼻の高い話ではありました。

第四話に続く。

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