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菓子職人(第六話)生い立ち
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菓子職人(第六話)生い立ち

ちなみに私の亡くなった親父は、ご先祖様から四国は徳島の漁師でした、親類もこの職業の人が多く、自分なりにこの匂いは、親しみやすく大好きでした。

瀬戸内海の海の思い出は美しく、優しい思い出ばかりで・・・。

この環境しか知らない私は、自然と漁師になるものだと思い込んでいました(ろくに勉強もせずに)。

そんな理由で、都心には縁故、知人は全くありませんでした。

それが、他の人と比べて、どう影響するんだろうということは想像すらできず。

父親のことは、母親から聞いた話だと、義理の父(母親のお父さん)から、漁場(船に乗って魚を取るとき?)にしごかれたのが耐え切れずに、長崎に来たように聞いています。

長崎市内の高校卒業を前に、初めて親父に相談したところ、沖(海洋での仕事、外航のタンカーなど)は、会いたいときに家族に会えない、生まれた子供も抱いてやれない。

それで、丘(街中)で、仕事を探しなさいということから、偶然目についた職業一覧でケーキ屋が不思議と目が留まった、これが正直なところです。

上京前、おじさん(母親の弟)から、昔の偉い人に、豊臣秀吉という人がいて、人には天職といって、その仕事を一生を通してやるところに道が開けるもんだ!といわれ、この言葉を一生覚えておこうと、学問に全く無知な私は思い込み、転職という言葉が世の中にあることすら知らずに生きてきました。

これが、良かったのか、悪かったのか、今の”菓子や”職業を続けているというのが本音です。

ただ一つ、逃げる道を知らない人は、強くなれるように思います。

普通のおじさんになるために、人は一所懸命に生きているだけで、十分に偉い。

 

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