思い返してみると、今頑張れるのも、これまでも、すぐに思い出すのは、やはり、母親の愛情だった様に思います。古い話が、時々出てきて恐縮ですが、上京前に長崎駅から見送ってくれた母の胸中を思い出すと、不思議に頑張れた。

落ち込んだときとゆうより、しょっちゅう落ち込んでは、この時の事を思い出すと、やっていられたように思います。

人それぞれ、ポジティブスイッチは、あると思います、責任が大きくなればなるほど、ピンチや山場は多くなるのでしょうけど、負けず嫌いな質で、人前では決して泣かない、ほんとに困ったときには、他人には相談しない、それでも、そんな時に、尊敬している人や、愛されていることを思い出すと、何とかなるか?と思えます。

そんなこと言ってても、心底落ち込んでくると、それどころではなくなるのも事実ですよね。

前出の凄いやつに出てきた、彼は、失敗したり、落ち込んでくると、青森弁でどーもすいません。と言い切る、笑い飛ばす。それを聞いていた、同僚が、そんなことしたら、包丁で刺されるよ、と、それでも、笑ってどーもすいませんって言ってれば良いんだ、と。

本当に強い人ってこんな人のことなんだろうな、時々思い出して、僕も、どーもすいません。

企画名:お菓子なライブ(立食ビュッフェ形式、カウンターからのセルフサービス)

税別:¥2,500(ワンドリンク込み、コーヒー又は紅茶プラスサービスティー)

日時:1月20日水曜日14:00~16:00のワンステージのみ。

内容:ミルフィーユ、マドレーヌ、スコーン、プチタルト、プチシュークリーム、ポンポネット、焼きたてスフレ(ミニベリーサンデー)、後のアドリブは秘密。(息の続く限り、頑張ります)

ご予約承りますので、お電話か直接店頭でお申し付けください。

当日店内が大変混雑が予想されます、定員20名様以上での締め切りとさせて頂きますので、ご了承ください。

 

昭和50年代のホテルの製菓部門では、約3年周期で、配置転換がありました。

プレパレーション、ミキサー、パイ、窯、仕上げ、アイスクリーム、ピエスモンテ、宴会(ビュッフェデセール)と、ミキサーでの仕込みは、絞りもののクッキー、パウンドケーキ、フルーツケーキ、ジェノワーズ、ビスキュイ、パートボンブ、クレームダマンド、チーズケーキ、パートシュクレ、パートフォンセ、パートフュイユタージュ、シロップ、なぜかドーナツ揚げ、とにかく、広範囲の菓子の基本になるクリームや生地、ベークドアラスカ(婚礼のアイスクリームの仕上げ)。

このころのウエディングケーキは、パスティアージュと呼ばれる発布スチロールの太鼓に柱(ピラー)を使って、砂糖菓子で背の高い仕上げで、入刀口には、堅めのスポンジを仕込んで、お祝いするスタイルでした。お配りするケーキは、焼く5㎝四方にカットしたフルーツケーキをお配りしていました。

私の場合、最初の会社で14年お世話になったので、丸っと一回り経験したことになります。

Pホテルでは、チーズケーキが看板商品だったので、一度の仕込みで21㎝の型で36台の仕込みを2回から3回、カスタードクリームでも7500mlが一回分だったので、スチームケテルを使って炊き上げ、五右衛門風呂のような大きさのミキサーボール2本使って合わせの作業をやっていました。

朝の仕出しでは、アプリコーテといって、大きな鍋でアプリコットジャムをぐつぐつ沸かして、30台から40台以上のチーズケーキを仕上げて、砕いたアーモンドスライスのローストを周りにつけては、箱詰めして出荷したのを覚えています。

老舗ホテルでは、どこでも、何かしらの看板商品があるのでしょうが、大先輩たちのおつくりになったシステムがヒットし成功して、そのお手伝いができたことは、幸せでした。