同期入社生約70名あまり、この中でほとんどの人が、大田区の社員寮にお世話になったように思います。

北は北海道、南は鹿児島、その間は、秋田、青森、仙台、大阪、日本中の地方訛りを聞きながら、新鮮なフレッシュマン生活のスタート(何しろ、周りに迷惑かりかけていた)

この中で、一番気が合ったのが、今でも親友の青森県八戸市出身の柔道がすきで、青森リンゴみたいに人懐っこい大男が、一番好きだった。

私は、長崎県出身で少林寺拳法を学生時代やっていたので、異種格闘技と、全く違う生活環境もお互い楽しかったのだろう、彼は、フランス料理のお店を経営していて、私は洋菓子店を経営している。

少しづつ違うところが、長続きしているのかもしれない。

人生の中で、苦労人というと、一番にこの彼のことを思い出す。

多かれ少なかれ、親元離れて生活すれば、楽しことばかりであろうはずはない。

では、彼のどこが凄いんだっていうと、いっつも柔道部の敗れたジャージを着て、寮内の彼の部屋へ遊びに行くとコーラにかっぱえびせんを勧めてくれて、読み古した漫画本を読みながら笑っていた。

後で聞いてみると、あの頃はご飯食べるお金がなくて、どうやって腹を膨らまそうかそればっかり考えて、一人暮らしの母親と、心臓病の弟に仕送りをしながら、青森に古い家を建ててやっていたからしょうがなかったんだと。

そのあと、ホテルの料理長になり、結婚して奥さんに仕送りの額が少ないと、母親から電話があった・・・・。

そういう理由で、いつしか離婚。そのあと、母親と、弟が彼が建てた家を巡って喧嘩になった・・・。

なんてこった。

それでも、そんな境遇を乗り越えて、フランス料理の名店を経営しつついつも会うたびに女遊びの話や、どうやったら僕が面白がるか考えてくれたこの人を、尊敬してやまない。

Pホテルに入社して、3か月間のトレーニー(実習)期間を終えて、ウエイター経験をカジュアルレストランで経験しました。会社から寮までの電車通勤にも慣れ、周りの景色にも慣れて、先輩方のお名前も覚えて・・・。

仕事の終わりにああ。とため息を、先輩に聞かれてしまった。お声をかけていただいた先輩は「あなたの仕事は半分は先輩のお給料から出ているんですよ」と。

世間知らずの子供は、これだけ疲れてまだそんなことを言ってやがる。と内心。

この言葉を理解するようになったのはこの後、どのくらい経ってからだろう?

一人前といえるのは、スピードメーターみたいなもので表せるのならば、簡単だが、人生経験そんな単純なものではありませんよね。

こんなことを言っては、お客様にお叱りを頂いてしまいますが、今の自分ででもこれなら良いという自己評価は、いつも疑問です。

ともあれ、東京長崎間の航空運賃は往復で、当時¥58,000くらいだったように思います。一か月のお給料分に近い金額を捻出することは思いもよらず。かといって、親元にかえってどうなる状況でもなかった私は、逃げ場のないことを覚悟するしか、他になかったのも事実でした。

どんな状況でも、一途にやってみると面白味はわいてくるもので、自然と、いろんな食材やら、お酒の名前やら憶えて、初めて見る芸能関係の人が間近で見られる興奮は、筆舌に尽くせないほどでした。

お母ちゃん、今日は会社に矢沢永吉さんが来とったとばい。(長崎のおふくろは彼の名前すら知らない)

毎日、恥の連続が、延々と続く。

お皿を運べば落とす、割る、オーダーは頻繁に間違える、オーダーミスの調理カウンターでは、手を出せ、と、

カウンターに手を出した次の瞬間、長いミートフォークが指と指の間に刺さって、抜けなくなった。良い度胸してんじゃねーか?初めて経験する、膝が合わなくなるってほんとにあるんだ。

その直後、グラスを背の高さまで積んだラックをひっくり返す。(もう、死んだほうがいいんじゃないか?って自分。)

その時の先輩の一言、「手をケガするから、箒を持ってきなさい、大丈夫か?」

一人でトイレで泣いた最初の時でした。

洋菓子工房PAN Ý VINOでは、引き出物、お歳暮、お年始など店内から宅配でもお使いいただけるように、焼き菓子のご用意をしております。

今回画像に挙げさせていただいたものは、特にお歳暮で今年一年お世話になった方へ、ご家庭でクリスマスパーティーに花を添えてあげられるよう、ピックアップしてご用意いたしました。