12月 1月
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この当時の集団就職という言葉は、もう今は使われていない(死語?)だろうか?

ともかく、私が就職した高輪のホテル(P仮に)では70人余りの同期入社の仲間がいたことを思い出すと、そのあと一年後に残った者同士の同期の飲み会の人数は相当少ない人数だった。

この会社に入社した経緯を少しお話したいと思います。

長崎県出身の私は、博多の一次面接でSホテル(仮名:昭和55年ニューオープンでオープニング)の面接に落ち、二次で、Pホテルに入社(人事部長から学校にまじめな人材をと、感謝して頂いたそうです。)この二つの結果がどういう違いかは、ともかく、この時の分水嶺は、そのあとの私の人生を大きく分けてしまった。

今となっては、Pホテルに入社したことに感謝をしています。

Sホテルがオープンしたころは、私はホテル業界のことはおろか、社会のことなど全く知らない、九州から出てきたばかりの、昨日まで学生として、家庭と教室くらいしか世界の無い子供でした。

先輩社員から聞かされた話によると、PホテルからSホテルの幹部社員として入社した大先輩方も多かったようで、Pホテルを14年経験して、次のホテルのオファーは、元の上司からだったのですが、その次のオファーは、Sホテルの料理長からのご紹介でした。少し皮肉な感じはしましたが、前を向いて歩きだしたのもこのころです。

このころは、第2次ホテルオープンラッシュ?

赤坂Pホテル、新宿Sホテル、浅草Bホテル、箱崎Rホテル、・・・。オープニングのコアメンバーの動きを此の文面で追跡することは、それぞれの物語ができてしまうほどになってしまうので、割愛します。

それにしても、ホテル業界はそれぞれの横のつながりが大きく、狭く。みんなよりいいポストを探して、人物と呼ばれる人たちは、やはり、それなりに大成して、まれにホテルの料理長が専門誌ばかりか、プレジデントの表表紙を飾るのは、調理業界としても鼻の高い話ではありました。

第四話に続く。

はじめに、これからパティシエを目指しておられる方もおいでになると思います。こちらの物語は少しでも、そういう方にお役に立てばという思いから書かせていただきます。

時間の都合から、文脈が前後したり、読みづらい乱文になった場合はご笑読下さいね。

昭和55年の長崎駅から見上げる稲佐山は、その昔、瓊の浦と呼ばれる鶴が翼を広げた形に見える(鶴の港)を見守っているようにそびえる景色が見えました。

母親に見送られながら、上京する17歳の少年は不安というより、怖いものなし。かといって学業はほとんどだめで、とりえもなし。東京に知り合いもいない。何があっとのかというと、若さと体力だけだった。

品川のホテルに集団就職して、研修を受け、トレーニーバッチを頂き、大田区の社員寮に住み、初任給¥78,000、寮費¥3,000、食事一食¥100で、ご飯食べ放題、お風呂は大浴場で、先輩と二人一部屋。

道路を隔てた、向かい側に第二の社員食堂と呼べる居酒屋があり、同僚や先輩と一緒に語らい、お酒の洗礼を受けた場所でした。

では、会社の勤務はというと、12時出勤、14時出勤、泊り明け泊り明け公休の4日出て、公休という5日が一週間という勤務でした、もちろん最初は、いろんな部署を経験させていただきました。

今日は、これまで。