初就職から、3年が経過して四か所目の職場でやっとペストリー(製菓)に配属できたのが四年目でした。

人の名前、宴会場の名前、ホテル内のフロアーマップ、会社から寮がある駅までの京浜急行の駅の名前や景色と駅の名前が一致しはじめ、当時のJR蒲田と京急蒲田の間が休日の憩いの場でした(この当時原宿の竹下通りでは竹の子族がいたようないなかったような)。

社内移動があるたびに、少しづつメンタル面でタフになったような気がします。

他の同期生より、いろんな部署で知り合いがいるんだぞみたな。

以前ご指導いただいた諸先輩方に会うと、気恥ずかしいけれど、温かいお声を頂いたり、実務には直接役に立たないけれど、その職場その職場のやり方なんかも、思い出しながら。

社内にブレンがいると、会社の中でトランスファー(モノの移動貸し借り)も少し融通してくれたりもします。

例えばマドレーヌの仕込みで、レモンが2個足りなかったりすると、レストランから借りたりして、トランスファー伝票なるものを書いて、棚卸の整合性を合わせます。こんな時に、お昼が取れないでお腹がすいてるときに、レモンと一緒にパンにポテトサラダを挟んで持たしてもらったことも思い出します。

些細なことですが、職場が変わるたびに相変わらずの間の悪さを生まれ持っている私は、違った失敗を繰り返したように思い出します。こんな時に、先の先輩や、お世話になった同量のこんな気遣いのおかげでもう一回やってみるかって、一人で自問自答していました。

ペストリーに配属されても、その職場の兄弟弟子の中で一番できの悪い私が、人並みになるためにどれくらい無駄なことをしてきたんだろう、どれくらい、人の役に立ってきたんだろう?

ややもすると、自己卑下や自己嫌悪に陥りやすいときに、ありがたい先輩の一言。

どんな時でも「自分を愛しなさい!」と。

そうすることで、他人もあなたを好きになってくれるし、協力もしてくれる。

自分を嫌いになることは、同時に相手も嫌いになることだと気づかせてくれました。

ホテルの職種は、大きく分けて、生産部門、非生産部門と別れており。

社内は、一つの町として機能しています。

生産部門、調理部は、メインダイニング、スカイレストラン、グリルレストラン、バー、バンケットキッチン、ブッチャー(肉を処理する)、ポワソン(魚を処理する)、ソシエ(ソースを仕込む)、コール(オードブルを仕込む、フルーツをカット盛り込み)、ベーカー(製パン)、ペストリー(製菓)、まさにいろんな専門分野があります。

非生産部門、フロント、ハウスキーピング、バーテンダー、ウエイター、ソムリエ、オペレーター、総務、人事、経理、国内外のセールス、宴会セールス、婚礼課・・・・。

この中で、駐車場整理なんかもあります。

一口に社内移動といっても、専門職カラーが強ければ、まさに転職と同じことで、勤務形態も違えば、個人の生活もまた一変する。

調理師希望で入社した人でも、仮にバーテンダーを6年経験してしまうと、調理場ではじめましては、かなりメンタルできついことですよね、そのままバーテンダーで行ってしまうのも事実。

また、フロントを長年経験して退社した後、調理師学校に行ってデビューする人もいるところが、ドラマチックと一口に言いきれないところですが。

何しろ、どの職場でも住めば都とは、いえなくもなく、その職場環境で楽しみを見つけて、スペシャリストになれる人はある意味幸せです。

 

ちなみに私の亡くなった親父は、ご先祖様から四国は徳島の漁師でした、親類もこの職業の人が多く、自分なりにこの匂いは、親しみやすく大好きでした。

瀬戸内海の海の思い出は美しく、優しい思い出ばかりで・・・。

この環境しか知らない私は、自然と漁師になるものだと思い込んでいました(ろくに勉強もせずに)。

そんな理由で、都心には縁故、知人は全くありませんでした。

それが、他の人と比べて、どう影響するんだろうということは想像すらできず。

父親のことは、母親から聞いた話だと、義理の父(母親のお父さん)から、漁場(船に乗って魚を取るとき?)にしごかれたのが耐え切れずに、長崎に来たように聞いています。

長崎市内の高校卒業を前に、初めて親父に相談したところ、沖(海洋での仕事、外航のタンカーなど)は、会いたいときに家族に会えない、生まれた子供も抱いてやれない。

それで、丘(街中)で、仕事を探しなさいということから、偶然目についた職業一覧でケーキ屋が不思議と目が留まった、これが正直なところです。

上京前、おじさん(母親の弟)から、昔の偉い人に、豊臣秀吉という人がいて、人には天職といって、その仕事を一生を通してやるところに道が開けるもんだ!といわれ、この言葉を一生覚えておこうと、学問に全く無知な私は思い込み、転職という言葉が世の中にあることすら知らずに生きてきました。

これが、良かったのか、悪かったのか、今の”菓子や”職業を続けているというのが本音です。

ただ一つ、逃げる道を知らない人は、強くなれるように思います。

普通のおじさんになるために、人は一所懸命に生きているだけで、十分に偉い。